ユーエスがはじめて米国株を学ぶブログ

米国株投資を始めて3年目に突入。米国株初心者が学んだことを記録していきます。

個人投資家ほど一度は損切りについてしっかり考えたほうが良い理由

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米中貿易戦争や米金利の利下げ、決算シーズン到来など、米国市場がゆらゆらしている昨今です。そんなときだからこそ損切りについて見つめ直してみました。

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損切り推進派 VS 損切り消極派

私の保有銘柄もこの決算シーズンで株価が上がったり下がったり大忙しでした。特に株価が下げたときの行動としての「損切り」(株価が下がって含み損のときに売却して損失を確定すること)については、何か軸となるものを持っていないと右往左往してしまうと思いますので、ちょっと調べてみたところ下記の記事が参考になりました。

 

media.rakuten-sec.net

 

この記事では損切りに対する立場として推進派と消極派に大きく分けてその論拠について解説しています。

ざっくり言うと下記のとおりです。

<損切り推進派>

  • 損失が不用意に拡大しないように損切りすることで、傷を浅くすませる。
  • 株価が-10%下がる/移動平均線を割り込む、といった株価チャート・テクニカル分析を用いた損切りルールを設定することが多い。

 

<損切り消極派 その1>

  • ファンダメンタル(企業の収益や負債などの財務状況)の変化を理由とする損切りは容認する。
  • 業績の下方修正など、その企業に投資した前提が崩れた時に損切りする。

 

<損切り消極派 その2>

  • 個人投資家は保有期間に制限がないのだから、株価が買値から下がったら損切りなどせず、いつまでも保有し続ければよい、という考え方。
  • ようは「損切り不要派」

 

この参考記事の趣旨は「必要な時には損失が大きくなる前に損切りをすべき」というものであるため、内容としては損切り消極派に厳しい論旨となっています。

 

まずファンダメンタルの変化に基づく損切り消極派その1に対して、記事では

個人投資家がファンダメンタルの変化を知る前に、株価はそれを先取りして動くケースが非常に多い

プロより情報量の少ない個人投資家がファンダメンタル分析のみで株式投資をすることはリスクが高い

といった点を指摘します。つまり、個人投資家レベルの情報量で企業業績の変化に気づいた頃には、株価は既にガッツリ下がって手遅れなケースが多いということですね。

 

もう一つの損切り消極派その2(損切り不要派)に対しては、

(日本の)戦後~バブル崩壊前までの、長期的な右肩上がりの上昇相場であればあながち間違ってはいない

長期的な上昇相場でなければ、保有すればするほど株価が下がり、時間は味方どころか敵になる恐れ

と日本株を例に説明します。米国株の場合はそのまま当てはまるわけではないですが、ポイントは今が上昇相場かどうかにあると思いました。

 

試しにS&P500の推移を見てみましょう。

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過去5年のチャートを見ると、上昇相場と言えたのはだいたい2016年から2018年までの間かなと思います。2018年から今に至るまでは変動が激しくはっきりとした上昇トレンドはまだ見えない(これから形成される?)状況ですかね。

 

ただこれはせいぜい2年という期間のみを見ていますので、10年、20年、50年と超長期な視点で上昇相場になれば良い、という考え方もあるかもしれません。

 

個人投資家の立場で考えたときには、情報戦でプロの投資家に対して圧倒的に負けている訳ですから、ファンダメンタルの変化に先んじて動く株価に注意して損切りルールを作るのがまずは第一歩かなと思います。

 

今のところ私は-8%を損切りラインに設定してほぼ機械的な損切りを実施しています。ほぼというのは、その損切り時に全売却するか半分売却するかはまだ明確なルールが作れていないからです。割と気分に依存する面も正直ありますね。

 

個人投資家 VS 認知バイアス

個人投資家が損切りを見つめ直した方が良いと思うもう一つの理由は、個人投資家がその名の通り一人の人間であることで認知バイアスの罠に陥る可能性が高い点ですね。

いわゆる「プロスペクト理論」にもとづく考え方です。

 

プロスペクト理論はリスクを伴う状況下での判断分析として、米カーネマン氏らが1979年に公表した論文のタイトル名。

 

プロスペクト理論により、従来の投資効用理論では説明のつかない投資家の判断行動が現実に即した形で解明された。例えば、投資家は収益よりも損失の方に敏感に反応し、収益が出ている場合は損失回避的な利益確定に走りやすい。一方、損失が出ている場合はそれを取り戻そうとしてより大きなリスクを取るような投資判断を行いやすいとされる。

 

プロスペクト理論|証券用語解説集|野村證券

 

上の説明にある通り、プロスペクト理論はリスクを伴う状況での認知バイアスの一種です。利益が出いているときはそれを確実に取りに行き、逆に損失が出ているときはその損失を回避するように行動しやすい、ということですね。

 

具体的な例がWikipediaに載っていましたので紹介します。利益のケース、損失のケースで選択肢AとBのどちらを選ぶか考えてみてください。

利益のケース
  • 選択肢A:100万円が無条件で手に入る。
  • 選択肢B:コインを投げ、表が出たら200万円が手に入るが、裏が出たら何も手に入らない。

 

損失のケース

あなたが200万円の負債を抱えている時に、

  • 選択肢A:無条件で負債が100万円減額され、負債総額が100万円となる。
  • 選択肢B:コインを投げ、表が出たら支払いが全額免除されるが、裏が出たら負債総額は変わらない。

 

利益のケースの場合、多くの人が確実に100万円をもらえるAを選ぶと言われています。期待値の観点ではAもBも期待値100万円で等価ですが、人は利益が確実に取れるときには取りに行く(利益が取れないリスクを回避する)生き物というわけですね。

 

もう一つの損失のケースでは、多くの人が損失を全額回避できる可能性にワンチャン賭けてBを選ぶようです。こちらも期待値はAもBも−100万円で同じです。先程は手堅く100万円の利益を得た人も、損失のケースでは一転してギャンブル性の高い選択肢Bを選んでしまう(損失そのものを回避しようとする)というのが人間の性というわけですね。

 

このプロスペクト理論で株の損切りを考えた場合、人は損失そのものを回避しようと行動するわけですから、損切り=損失確定という図式からやはり損切りせずにそのまま保持し続けるのが普通の行動と言えそうです。

 

また「このまま持ち続ければいつか株価が上がって含み益に転じるだろう」という考え方も損失回避の行動に思います。これも「損失が出ている場合はそれを取り戻そうとしてより大きなリスクを取るような投資判断を行いやすい」ことの一種でしょう。株価が下がり続ける銘柄を買い増しする行動も、リスク選好な行動に思えますがどうでしょうか。

 

個人投資家という一人の人間としてプロスペクト理論が投資判断に働くのは避けられないことです。それならばいっそ、-10%の下落で損切りといった機械的ルールを設定して、自分の認知外で損切りを実行するのも一つの手だと思います。

 

個人投資家ほど一度は損切りについてしっかり考えたほうが良い理由

いくつかの情報を参考にして損切りについて見つめ直した結果、下記の理由から個人投資家ほど損切りについては一度はしっかり考えた方が良いと思いました。

理由1:直近の上昇相場は終わりを告げ、次の上昇相場が来るかどうかは不明(リセッションまであと1〜2年?)。そのため上昇相場を前提とした株の中長期保有は難しいかもしれない。

 

理由2:損切りを前提に投資をするにしても、株価チャートに基づくべきか、ファンダメンタルを見るべきか、本番が訪れる前に損切りルールを準備しておいた方が良さそう。

 

理由3:個人投資家として投資判断にバイアスが入り込むのは避けられない。だからこそ、自分の損切りに対する考え方がバイアスによるものかもしれないと一度冷静に考えてみては。

 

個人的には案外と理由3が厄介に思っていまして、昨年の10月や12月の大幅な市場の下落時には何かと自分の中に理由をつけて損失回避できないか(損切りしないで済まないか)を考えていた時期がありました。結果としては、10月の下落時にはまだ利益が取れる間に一度全部売却する決断を下しました。

www.us-stock-investor.com

 

その後の株価の推移を見ると、この判断が良かったのかどうかは難しいところですが、自分の中のバイアスや損切りの考え方に向き合う良いきっかけになったと思っています。

それ以来、株価に基づく損切りラインの設定と、好決算な銘柄は売却しないというルールを設定して、(ほぼ)機械的に投資を続けることができています。生きの良い目新しい銘柄にすぐ飛びつく癖は治りませんが。。

ともかく、あと数年以内には米国にもリセッションが訪れることは確実視されていますし、その時に慌てふためかないためにも損切りについて今一度かんがえてみても良いのではと思います。

 

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